自己紹介
一級和裁技能士の「はたる」です。
このブログでは和裁の技術や和裁を学んで思う事、着物への想いなどを書いていこうと思います。
全て僕個人の意見です。
さて、初回なので僕の事や、今ブログを始めるまでの経緯などを書いてみたいと思います。
高校は工業高校の電気科。大学は工学部の電気電子工学科。
大学ではサークル活動に専念。オーケストラでヴィオラを弾いていました。
それまでは音楽は苦手でしたが、何故かオーケストラに。楽譜などは全く読めません。
楽器を選ぶといっても菅は無理だし、チェロは大きい、コントラバスは大き過ぎ、ヴァイオリンは希望者多いし、え?ヴィオラ?何それ?ヴァイオリンと同じでしょ?じゃあ、それで。
その程度。
が、しかし、ハマりました。
ずっと弾いていました。
練習を頑張ったおかげで、楽しんで弾けるようになり、無事に大学を中退いたしました。
4年目の夏にね。
中退する前に次の道を探さねばと思い色々考えました。
なんとなくですが、日本の伝統的な仕事がしたいと思っていました。
地元の長岡市は花火が有名で、花火師になりたいと以前からうっすら思っていたような、うん、なりたい。
という事で、いくつかの煙火工場に問い合わせましたが全て門前払い。
サクッと諦めて次を探しました。
ネットでウロウロ。
ふと目に入った赤い振袖を見て、
あ、着物綺麗だな、じゃあ、これで。
その程度。
いくつかの縫製所をネットで調べて、結局は1番初めに目に入った後藤和裁に問い合わせ。
名古屋ってどこ?何県?まぁ、いいか。
見学に行ったら、入りたかったらどうぞって感じだったからここで決定。
大学を辞め、大好きだったサークルも辞め、半年間派遣の仕事。大切に弾いてきた楽器は後輩に売って新しい生活の資金に。
4月に名古屋へお引越し。彼女と共に。
あ、ここ深く突っ込まないでください。話が長くなりますので。
で、和裁生活が始まりました。
卒業までは5年ですが、一級の和裁技能士の資格を取るのには6年かかりました。
非常に不器用で、色々な作業を身体が覚えるまでにとても時間がかかりました。
全然綺麗に縫えない。紆余曲折しかない。
しかしながら自分で選んだ事。
辞められない。
辞められる訳がない。
もう進むしかない。
周りの方々に支えられなんとか一級技能士の資格を取りました。
資格を取ってどうなったか。
何も変わりませんでした。
毎日縫う。
色々な物を縫って経験を積む。
少ない仕立て代、ギリギリの生活を維持する為に縫う。
衰退していくこの業界を見ながら。
中学、高校、大学でもっと勉強していれば…
今でも高校や大学の新学期が始まる夢を見ます。
勉強しなければ。
電気回路の公式を覚えなければ。
微積の問題を解かなければ。
そんな夢を。
はっきり言って後悔が大きい。
でもそれは自分のせい。
もう戻れない。
未来に光はあるのだろうか。
分からぬまま過ぎる時間。
着物の事は二の次だったけれど、そこには沢山の着物好き。
呉服屋からの仕事を多く扱うため、お客様とは直接会う事が少ないのです。
それ故に、着物を着た人の声は届かない。
しかしTwitterには溢れていました。
「未来に光はあるのだろうか」?
何を馬鹿な事を。
既にそこらじゅうで光り輝いていて、ただ自分がその中にいないだけでした。
自分も着よう。着て出かけよう。
着物を着てオフ会に参加したり、囲碁を打ちに行ったり。
そこで驚いたのは、あまりにも低い和裁士の認知度でした。
ワサイって何?
作るって織るの?染めるの?
え?縫う?ミシンで?
何故こんな事に。
答えは簡単。知ってもらおうとしていないから。
呉服屋からの仕事を淡々とこなすだけ。
これでは知られる訳がない。
和裁の技術は奥深く、面白く、非常に便利なもの。
この技術を沢山の人に知ってもらいたい。
この技術をもっと活用してもらいたい。
この技術はすごいんだということを伝えたい。
和裁士である自分の未来を光らせるのは、和裁士である自分自身のみ。
こんな感じで熱い(ウザい?)想いを伝えていこうかと思います。
はっきり言って、発信とか苦手なんです。
そういうのが苦手なので人間以外の物を扱う仕事を選んだのです。
文章書くの苦手なんです。
計算してる方が好きなんです。
だから上手くは出来ません。
でもやります。
見ていてください。