和裁士からの伝言板

和裁士の「はたる」です。一級和裁技能士が着物や和裁のあれこれを綴ります。

誕生日を迎えました

今回は和裁関係無しです( ˘ω˘ )

 

今日は誕生日でした。

38歳になりました。

 

今朝、訃報を受けました。

知り合いの和裁士さんが亡くなったとの事。

はっきりした年齢は存じ上げておりませんが、40代だったと思います。

同じ呉服店の仕事をしていたので、たまに納品時にお会いしていました。

先週の金曜日にも顔を合わせていました。

 

4年前の今日は祖父のお通夜で、その日に友人から出産の報告を受けました。

 

 

 

生と死が交錯すると感じるこの日。

思い出すのは藤田和日郎さんの漫画「うしおととら」に出てくる妖怪が人間達に投げかける台詞。

 

『満足する死とは何だ?』

 

作品の中ではひとつの答えを出しているが、それは、潮や真由子や麻子の答えであって、万人の答えでは無いと感じる。

 

満足する死とは、つまり、満足する生だろう。

満足できたかどうかはどの様に生きたかを総括しなければ分からない。

それは、やはり死の直前ではないと分からない気がする。

 

分からないなら、少し視点を変えて考えよう。

 

満足する死を迎えた自分はどの様な状態だろうか。

おそらく、笑っているだろう。

笑っていたら、なんだかバカみたいだ。

微笑み位が丁度良いのだろうが、自分はおそらく、笑っているだろう。

 

という事は、死の瞬間に笑えれば、自分の生は満足できるものになる。

 

滅茶苦茶な理論だと思う。

でも、笑っていたい。

 

それなりの後悔、どうしても納得出来ない理不尽な事、すでに抱えて生きている。

それはもう仕方ない。

これからも起こる。

それも仕方ない。

それでも、満足できたと思いたい。

全部ひっくるめて笑ってしまいたい。

その時に、それが出来る様に、出来るだけ沢山笑って生きて行こうと思う。

 

 

尊敬する後輩の言葉がある。

『誕生日とは、祝ってもらう日では無い。一年無事に生きられた事を親・家族・友人・知人に感謝する日である』

 

感謝しても、感謝しても、感謝しきれない人が沢山いる。

恩返しなど到底できないだろう。

あいつは良く生きた、そう思ってもらう事が恩返しのひとつになり得るのではないだろうか。

 

出来るだけ沢山笑って生きて行こう。

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